1年たった

あの3月11日から1年がたちました。

昨年の今頃は、5時間半かけてタクシーで帰宅して、ちょうど自宅についた頃だったかなと思います。
この1年どんな年だったかと振り返ると、結局は日常だったなと思いました。

大地震があったその日から2か月くらいはどうしようもない憂鬱な日々、その後計画停電で便利な生活から少し不便な生活になりました。
2回だけ夜停電になって、ストーブをつけ懐中電灯で過ごしました。トータル時間は3時間もないと思います。

地震の重大さに気づいたのは、きっと本当に気づいたのは、同僚2人と乗ったタクシーの中でした。それまでは旦那と連絡もついていたし、漁師の旦那の父親も漁で千葉に来ているかと思いましたが、三重の実家にいたので無事で、あとは両親と連絡が取れれば、妹はシンガポールにいるので無事だからと少し楽観的に考えていたと今となれば思います。

帰りのタクシーの中では、ワンセグでTVを観たり、ラジオで情報を得たりしてました。
会社の同僚とはスカイプとTwitterで連絡を取り合いながら時間を過ごしていました。

しばらくすると妹から「無事ですか?」とスカイプで連絡が入りました。
まったく情報のない中、私のスカイプがオンになっていたことで、藁にもすがる思いで妹は連絡をしてきたことと思います。
それから妹が母に連絡を取り、妹を経由して安否確認ができました。

自宅に帰ってからはTVを見て事態の深刻さに言葉が出なくなり、そこからが本当の闘いだったなと思います。

今あの時からの1年を細かく思い出すと、最初は何かしなくちゃと募金をして半年が過ぎ、半年後は節電をしながら普通の生活に戻ってきました。
仕事を通して東北のことを考えることが増え、食品を東北から取り寄せるようになりました。

そして、本当に強く思うのは、家族が助け合ったなということと、毎日顔を合わせる同僚に本当に救われました。そして私にとって家族同様の友達にも救われました。

いつまでも忘れないようにというけれど、忘れられるわけはなく、でも確実に前を向いて日常と取り戻したいと毎日思っています。

亡くなった方の分も、自分も人生をまっとうしていこうと今日、追悼式をTVで観ながら正座して黙祷をしながら改めて思いました。

楽観はできないけれど、悲しむのはもう終わり。
前を向いて元気に生きていこうと思います。

おわり

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